大阪に転勤して 3 年が経ちました

本社の会議室で唐突に「あなたは大阪に行きます!」と言われてから早三年(「行ってください」じゃなくて、「行きます」って・・・)。「石の上にも三年」というように 3年というのは何かを成すにあたっても一つの区切りになるのではと思っています。別に大阪からいなくなるわけではありませんが、ここらで自分の気持ちを整理しておこうと思います。

細かい不満はあれど大阪に来て良かったと思っており、仕事の面でも自身の成長に繋げることができたと感じています。じゃあ具体的に「大阪に来て何が良かったの?」というのをあげていきたいと思います。

これは東京で過ごした最後の朝

時間の使い方が上手になった

東京にいるときは社外にいると仕事ができないと思っていました。外出予定と重なるとミーティングには参加できないし、直行・直帰が続いたときにはお客様への対応が遅れてしまうこともありました。

大阪に来たら同僚はおらず一人なので、自分自身のいる場所が大阪営業所だと思って仕事をしていました。そう考えると、外出中でもカラオケボックスがあれば Web 会議に参加できるし、本社の人と相談すれば大概の仕事は離れていてもできるものです。(本社の人が苦労したかもしれませんが)

社外の人との距離が近い

大きな会社では必ずしもそうとは言えないかもしれませんが、拠点勤務者は本社勤務に比べると担当する業務の種類(≠業務量)が多くなります。例えば、パートナーさんとの協業を仕掛けようと思っても東京で働いていたら自社でそのパートナーさんを担当している人間を通してコミュニケーションをすることが多くなり得ます。

一方で、大阪のパートナーさんは全社が自分が担当させていただくことになるため、コミュニケーションが非常にやりやすくなり、3社以上の協業を仕掛けたいと思ったときにはかなりメリットが大きいです。

3 社協業の一例

最近ではパートナーさんと一緒にゴルフに行くことも増えましたが、これも東京にいたらできていたかな?と疑問に思います。

なんでもやっていい

人によっては「なんでもやらなきゃいけない」ということでデメリットになることもあるかもしれませんが、自分にとっては良いことだと思います。人間を「スペシャリスト」か「ゼネラリスト」の二種類に分けたとき、いまやっている仕事に関して言えば自分は間違いなく「ゼネラリスト」側になると思います。営業バリバリで育ったわけでなければ、マーケティングのスペシャリストでもありません。

ただ、技術経験があるため多くのケースでエンジニアの力を借りずにお客様提案ができ、多少の講演経験も経ているため自分でイベントを企画して実行することができます。

ただ、これが東京の大きな組織で働いていると「それはエンジニアに任せて、もっと営業活動をしなさい」と言われかねません(当社ではあまりそういうことはありませんでしたが)。一方で、大阪では自分しかいないため「全部やらなきゃいけない」=「全部やっても良い」のです。これが自分の性格・特性に凄く合っているかなと思います。

人脈の種類が変わった

これは仕事の面でもプライベートの面でも共通して言えることです。私は大学入学以来 15,6 年間東京で暮らしていたため、従来の交友関係といえば「昔の会社の同僚」「学生時代の友人」が多くを占めていました。

これが大阪にやってくるとゼロになりました。

自分自身あまり社交的な性格ではないと思いますが、大阪での交友関係を広げるため色々なコミュニティに飛び込んでいくことになり、結果として仕事で絡んだことがない人や全く業種の違う方たちと知り合い機会を作ることができました。

転勤していなかったら多分ここにも行っていません(東京なのに・・・)

自分が変わった

結局、これまで書いてきたことって実は東京にいても問題なくできることなんですよね。

ただ、東京にいるときには何かと理由をつけて逃げてきたことが、大阪に 1 人でやってきたら逃げ場がなくなってやれたんだと思っています。そういう意味でも、大阪に来たことによって自分が成長できて良かったな、ということを思います。

次回予告

今回はポジティブなことをたくさん書いたので、次回は「拠点勤務でムカついたこと TOP 3」を公開したいなと思います。